最近の嬉しい話を今日はしようと思います。
読書をここ1年でかなりするようになった知人がいるのですが。その人の思考の過程が話す度に変わっていることに気が付きます。
読んでいるジャンルにもよるのでしょうが、読書の冊数が積み重なることによって、他の意見も受け入れられるようになったのでしょう。嬉しい変化です。
よく、読書ばかりをしていては頭が固まるばかりだ、考える力が身につかないなどと一昔前に言われていたそうですが、現代はそれ以前の前提として、読まない人が激増しているのです。日本人の半分は月に1冊も読まない、らしいので。
仕事ばかりをしていては、思考を変えるチャンスって早々ないと思うのです。仕事は基本的に、「現状維持」をしている会社が多いですから、仕事をすることによって考え方が変わる方が少数派。
お金だけ入れて、家族を顧みない夫が多いことからも、その事実の片鱗が読み取れます。
読書って、よくよく考えてみると、
自分以外の人の話を延々と聞く行為でもあるんですよね。
社長さんとか、異国の大学の教授とか、現実世界では話をできる機会って作れるものではありません。そんな人たちの考えも、本によって聞かせてもらうことができる。
内容について同意できるかどうか?は別の話なのですが、
近しい家族や友達と会社の愚痴を言っていたり、身内話をするよりも圧倒的に、
多種多様な世界の話を聞くことができるのです。
最初は「そんなバカな」と思っていたことでも、
何回も聞いていれば自分の中で当たり前となって、気付いたら受け入れていた。自分の中の常識になっていたというケース。
例えば、恋愛の悩み相談をしたとしても、
かえってくる返答は大体その人の経験から悟ったこと、です。
しかし、エーリッヒ・フロムの名著である「愛するということ」を読むと、そもそも自分の感じているこの感情は愛なのか?別の感情か?を読み解くヒントを貰えるのです。愛するということは私も何度も読んでいて、今でも読み取り切れていない感じがするのですが、読むたびに「愛」というものについて考えます。
恋人同士でする恋愛を、家族愛とか神様への信仰心に結びつけて考えることなど、友達に相談しても、会社の人に相談しても出てくることはありません。そう言われようものならば、「頭おかしいんじゃないの」という風に見られかねません。
しかし、この著作を読んでいる頭で、その例を出されると、「この人も読んでいるんだな」と理解できるのです。
ここまでの極端な読書談話は必要ないかもしれませんが、
本を読むということは、今自分が置かれている状況と本の内容を結び付けて考えることができることでもあるのです。
もしも、本を全く読まない人であれば、その人と話していても出てくるのは「その人の経験から学んだ話」でしかありません。
人は、他人の経験談から「そうですね!」と手放しで賛成することはできません。子供を持ったことがない独身の人に、子供を育てている人の気持ちは理解できないし、東大に入れなかった人に東大に行くことの良さを感じることはできません。
しかし、それを唯一。少しでも追体験できる方法が、読書なのです。
どんなに頑張っても、他人の経験談から追体験できないのが悲しいところ。想像はできますが、ね。
読書をすることによって、どんどん思考が柔軟になってくるのは何故なのか?
それは会話をするよりも「自分ごとに併せて」話を聞けるからと結論づけたいと思います。
◆本文で紹介した書籍◆
愛は技術である、という主張を元に、愛という感情の正体を紐解いていく1冊。
現実の「愛」と呼ばれるものは、虚像であるということが分かる本です。そして、妙に納得してしまう。愛そのものへの考えが変わる本です。