本を買おうと思う時、基本的には「自分の興味」にしたがって買っています。
本屋で何か新しい本を見つけたら、手に取ってパラっと眺めてみる。
そうすると、刺さる言葉や文章が少なからずあるものです。
私は1冊の本の中に、知りたいことや参考になりそうな考えが「3つ」あれば買うようにしています。または、刺さる文章が3か所あるかどうか。
どうしてこの数字?と思われるかもしれませんが、意外にもこの発見の量が本に傾倒しすぎず、買って損したと思わない数なのです。
読書が辛くなってしまいがちな時。
それは100%全てを読もう、理解しようとしている時ではありませんか?
好きで読んでいる漫画の本ですら、何度も再読しないとどのシーンにあの人がいてね、こんなことがあって…あそこで主人公が意味ありげな行動していたな…とこと細かく覚えていないでしょう。漫画であっても一度読んだだけでは、「ストーリーの流れ」しか覚えられていないのです。どんな話?どこがおもしろかった?という話をするだけであれば、流れさえ読んでいれば話は合います。好きな漫画の話で各々好きなシーンの奥深さなど披露しないものですから。
しかし、「読書としての本」になると、途端に「全てを理解してて当たり前」と思い込んでしまいやすいのです。また、相手にも理解していることを求めるでしょう。
本を読むときに、一番の良い状態って、何かと延々と考えたことがあります。
情報をくまなく頭に記憶する。大事ですね。
多くの本を読みまくる。これも大事。
著者の考えの通りに極力読解する。これは、最高に必要と言われることでしょう。
しかし、私が本を読み続けながらたどり着いた答えは違うものでした。
好奇心に従って、好奇心を刺激しながら読めること。
漫画を大人買いして100巻読破するときのように、面白いから読む、その先が知りたいから読む。こんな単純な読み方でいいのだと。
本をたくさん読んで、知識がついてその結果、仕事に活かせるのなら本を読む意味は多いにあると思います。でも、世の中の読書術や読書本、ビジネス書などはそこを重視しすぎているとも感じるのです。
仕事に活かせるから!給料が上がるから!
それも読むためのモチベーションにはなると思いますが、そうやって続けていくといつか「しんどい」と思う時がくるかもしれません。一度でも嫌になるのは、読書を続けていくためのモチベーションにはならないのです。
本を読んでいて楽しい。知りたいことが知れるから、発見があるから楽しい。そうして続けていったら、いつの間にかこれだけの本を読んでいた。
自然と楽しんでたらそこにいた、その状態こそが読書家にとっての「至高」だと思うのです。
◆読書が嫌いになったことがある人に刺さる本◆
たくさん本を読みまくった中突如訪れた「読めなくなった」という絶望感。
でも、それでいいんだと思わせてくれる本です。