えのもとさんの読書日記

読むことで、思考が広がる。考えが広がる。みなさんに新しい視点を提供します。

「人に読まれる」からくる「書けない」は、必然。

日記を書くときには基本的には「誰か」に読まれることを考えないものだ。
誰かに読まれると思って書いたら、それは日記ではなく「エッセイ的な何か」になってしまうからです。

 

ここで言う日記とは、今日は何を食べた、どこに行った、こんな体験をした、などの友達や家族に話す与太話のようなものだと思ってもらいたい。

 

日記であれば、スラスラ書けるのに、
読まれると思うと途端に書けなくなるのは何故か。

みなさんもお気づきでしょう。

それは、「人が見ているから」です。

 

人の視線というものは、行動に大きな影響をもたらすものです。
たとえば、休日スマホを見ながらダラダラしたり動画を見たりしますが、会社や友達の家では好き勝手に過ごしたりはしないでしょう。気遣う必要のない関係性であっても、100%自分をさらけ出すことはしない。
会社だったら、だらしないとか仕事ができなさそうだとかレッテルを貼られるかもしれない。自分がいない時に噂話として悪口を言われるかもしれない。

親友の家に泊まっていても、家事の全部を任せることはしないでしょう。けれども、一人暮らしの家でなら、洗濯物を放置することもするし、毎日コンビニ弁当でも怒られない。面倒だと思ったらしないだけ。

この違いは、「人の目」があるからです。

親しい人の目であっても、他人と一緒に過ごすと自分をその他人に合わせて、過ごしてしまうのが人間の性なのです。

 

これと同じことが、ブログやnoteに「書こう」としている時にも起こります。
好き勝手に書ければいいのですが、
日記だけを書いたものを読まれることはありません。
稀に「この人の日常、面白いぞ」と思って毎日来てくれたとしても、読んでくれたからと言って「これからの日常に活かそう」とは思ってもらえないでしょう。タメになる話ではなく、エンターテイメントとして読まれることになるからです。

 

だからこそ、ブログを書こうと決意しても、書けなくなってしまう。それは、日記ではないからです。この絶望感は書く人であれば必然なのかもしれません。

 

しかし、この一種の書けないも「書く何か」が足らないからに他なりません。
書けないならば、書いてみる。書くハードルを下げてみる。

そして試行錯誤を重ねた先に、「書ける」が生まれてくるのでしょう。

 

 

◆書けない、に効く書籍◆

・プロだって、「書けない」…!勇気がもらえる且つ、スランプを抜け出すヒントや考え方が貰える本です。

・読みやすいでおなじみの多作家、齋藤孝教授。
大学の講義での「書く練習」の方法が書かれているので、「書く」初心者にはもってこいかもしれません。