昨年の2024年、読書界を賑わせた一冊です。
読書をしたい!でも、働いてると疲れてそんな気も起きてこない…あんなに好きだったのに。。と思う人も多いはず。
「そんなんで読めなくなるなんて、元々読書が好きじゃなかったんじゃないの」と言われればそこまでですが、精神的にも身体的にも疲れている状態だと
好きだったものも楽しめなくなる現象は他にも起きています。
ゲームという楽しい趣味ですら、極限に疲れていたり悩んでいたりすると、やらなくなっていたり。
この本は、そんな悩みを持つサラリーマンたちの心をキャッチしたのでしょう。共感も集まったのでしょう。きっと、読書家でない人たちの興味も惹いたはずです。
……しかし、働いていると本が読めなくなる、という悩みを持つ人が、この本を読むかどうか?という問題も出てきます。
なぜならば、今まで疲れて読まなかった人が
250ページ強もある新書を読む気が沸いてくるのか?ということです。
この本を読んだ人は分かるかと思いますが、
今まで読んでこなかった人が読みやすいという文体でもありません。むしろ、読書をしてきた人には馴染みのある文体です。
小難しい本からの引用を元に展開されている話も多いので、気軽に読めるエッセイの類いではないのです。
でも、そんな本がベストセラーを取った。30万部も売れたとされています。
どういう人に売れたのだろう?
私は一つの仮説として、
「読書家」または「作家」だと考えています。
もしかしたら、買うだけ買って読み通していない人も多いかもしれませんね。
本を普段読んでいるからこそ、「本を読めなくなる理由」コラムとして楽しく読む。一種の、社会現象を俯瞰して見るような感覚だと思います。
そうなってくると、きちんと読み通して作者の言わんとしているところを理解している読者は、読書家の可能性が高いのです。
仮にそうだとすると、
本が読めない人があふれている
→読み込んでいるのは読み慣れている読書家
→働いていて本が読めなかった人たちは読み通していない可能性
→メインターゲットとなる「働いていて読めない人」に届いていない
という、悪循環が起こるのです。
もちろん、そうじゃない人もいると思います。
普段はスマホばかり触ってしまって、一念発起して読んだ!読書をこれからしていこう!となっている人もいると思います。
どんなことでも言えてしまうとは思うのですが。そこは置いておきましょう。
読書家が本を読めなくなる現象は、やっぱり普遍的なものなのでしょうか。こちらもおすすめです。