誰も見てないと思いながら綴る言葉って、
どうしてこんなにも自由な気持ちになれるのだろう。
不特定多数に見られるようになると、途端に綴る言葉を
選びすぎるようなるに思う。
この習性を良く使えば商売に、
悪く使ってしまえば周りに合わせるだけになってしまう。
これだけモノがあふれる時代では、
その人ならではの言葉が見たい。読みたいのだ。
だったら、誰が見てようと
自由に書く。
人の目が気になり始めて流されそうになったら、意図的に「人の目をスルーする」のだ。
自己流は事故流とも言われるが、
天才や個性溢れる人たちの作品は、いつだって
事故流から生まれる。
自分ならではの表現とは、何だろう?
それは、自分だけしか見つけることができないものだ。