えのもとさんの読書日記

読むことで、思考が広がる。考えが広がる。みなさんに新しい視点を提供します。

アイディアには価値がない?ある?

言いたいことを体系化してまとめる。

並大抵なことではありません。

 

しかし、アイディアの段階での情報には価値がないのか?と言われると、「そんなことはない」と声を大にして叫びたい。

 

読者にとって、知りたいことにまっすぐに答えてくれる記事は魅力的です。これは言わずもがな魅力的です。

 

一方で、一般に言われる「クオリティが高い」状態とは、長い時間・工程をかけてできあがったものです。

 

本でいえば、ブログ記事はその場で思いつくままに書くこともできますし、書籍のように調べて調べて推敲して書くこともできます。

 

クオリティが伴っていなければ意味がない!プロ意識がなってない!という人もいれば、

即興で書いたブログ記事の方が読みやすく、親近感が持てると、好む人もいます。

 

逆に、有名な作家であっても、

本に書かれた「完成された文章」を読むよりも、

プライベートに発信しているブログ記事の文章の方が読みたくなりますよね。

それは、ブログなどの記事は、作者の「その時に」思った思考が書かれているからです。

完成された作品は、プロであるほど

どこでも読めるものになってしまうからでしょう。

 

本来であれば、完成された作品の方が値段が高く希少価値が高いはずですが、

真のファンになっていくほど「プライベート側の文章、情報」が欲しくなってくるのです。

 

ブロガーを含め物書きとしては新人側の作家であれば、最初はプライベートからの方が、みんな読んでくれる。

プロではない物書きの作品を読むよりも、プロとして活躍している作家の小説のほうがクオリティが担保されているからです。

 

 

さて、話が脱線しそうですね。

このように、プロとアマチュアの差から

作品とプライベートな文章には、

一種の逆転現象が起きるとお話しました。

 

プロブロガーを除いて、大半の物書きは

アマチュアに分類されると思います。

プロから見れば、新人ですね。

 

ここで、違った側面からアプローチしていきましょう。

 

今回のタイトルにも使ったキーワード。

「アイディア」には価値がないのか??

 

これに対するひとつの答えとして、

どんなアイディアも加工次第」という風に結論づけたいと思います。

 

今から書く記事に価値がないのか?あるのか?を決めるのは基本的には読者です。

 

しかし、アイディアというものは

時々刻々と変化するものでもあります。

 

仕事は会社に出社してこそ、という考え方は、

コロナによって価値が大きく歪められることになりました。

今は、コロナで隔離生活が続くのであれば、

少しでもプライベートな時間、関係を重視したいという人が増えています。

 

これは、時代が世の中の考えを変えてしまったいい例でしょう。

 

そもそも、大きく変わるということは、

元々「通勤」や「出社」という社会のシステムに疑問を持っていた人がいたことの証拠。

 

極端な話、すべての国民が

「出社こそが史上」と思っていれば

コロナがあろうとなかろうと関係がないのです。

 

それほどに、会社に行くというシステム自体、多くの人に疎まれていたことの証左でもあります。

 

それと同じように、

アイディアというものも変化していきます。

 

学生の頃と考え方が全く同じ、という方はいないでしょう。

 

反対に、大人になったからこそ、

子供の純粋な発想に憧れもします。

 

 

このことを踏まえれば、

今持っているアイディアも、心の中で思っていることも「今だから言える」という価値が存在していることになります。

 

子供の考えでしょう?なにも知らないから…

そう考える人よりも、

思いついたからやってみた!」という人のほうが成功者に多いのではないのでしょうか?

 

だから、私は声を大にして言いたい。

 

価値のないアイディアなどない、と。

 

どのアイディアも、書かれている言葉にも

価値は隠れている。

 

私的なことになりますが、

私は普段、本を読んでいる時に

アイディアを思いつくことが多いです。

だからこそ、読書研究家として名乗っているわけですが…。

ひとつの言葉、これもアイディアです。

 

断片的な言葉から、問題提起を作り、掘り下げていく。

 

思いつくアイディアたちには、

つくづく助けられているなと感じる日々でございます。