みなさんは、正解がない問題について、
長い間、向き合うことができますか??
例えば、
・どうしたら世界が平和になるのか
・どうして戦争がなくならないのか
・なぜ、あんな発言をしてしまったのか
・どうして、この会社で働き続けているのか
…など。
答える人によって、答えが変わる問題は、たくさんあります。
いえ、たった一つの正解しかない問題の方が、
この世界には少ないのかもしれません。
義務教育で教えられた知識だって、定説がひっくり返れば、それまでの知識を批判し、新しい知識を覚える必要がある。
受け入れられる人は柔軟に生きられるけれど、
受け入れられない人は頑固者の烙印を押されてしまいます。
そのため、全員が穏便なく、波風立たずに暮らすためには、
答えがたった一つしかない
と、思い込むことなのです。
要は、全員が常識だと思い、それ以上考えなければ、衝突は起きません。
しかし、人間はそうもいかないから、衝突はなくならないし、出る杭を打とうとする動きがでる。
本当ならば、自分たちが信じているものと違うことを、信じていたとしたら、ほっといたらいいんですよ。
自分は自分、あなたはあなた
だって、みんな、言いますよね?
でも、本当は周りに同調できない自分がいるから、
自分の望むものを持っている人に対して嫉妬する。
嫉妬って、自分より持っていない人に対しては、嫉妬しないのです。
恋人いる人が、恋人いない人に嫉妬することがないように。
お金持ちが持っていない人に嫉妬することがないように。
本当は欲しいという感情を、何かで覆い隠している。
本題に戻りますと、答えが出ない問題についての姿勢も同様です。
考える人は、徹底的に考えますし、解決するために調べもする。
考え抜くのです。
あの人は何故、黒い靴下をはいているのだろう?と思ったとして、色彩心理学について知っていれば、「なるほど。この人はちょっと警戒心が強めの人なんだな」と、相手の性格を想像することができる。
もしこれが、あなたはあなた、という考えの持ち主であれば、
「そんなの、黒が好きだからでしょ?」
で終わってしまいます。
それはそれ、これはこれと考えることは、楽なのです。
義務教育と同様に、たった一つの正解しか考えなくていいので。
これは、正しいか?間違っているか?という話ではありません。
あなたはどうしたいか?という
個人の性格の問題かもしれません。
ただ、現時点で言えるのは、
答えがない問題を考えることは、苦しいことなのです。
意味がないと、投げ出したくなるでしょう。
仕事だって、同時進行でいくつもの案件を抱えていたら、パンクしますよね?でも反対に、パンクしないでさばける人も存在する。
両者の違いは、忍耐という言葉で片づけたくなってしまうかもしれません。
もし、あなたが
こんなの考えるだけで無駄だと思えることが一つでもあるのなら。
内側から、疑問が溢れて止まらないのなら。
徹底的に向き合うことに、意味がある。
それは、人生という長いプロジェクトなのです。