えのもとさんの読書日記

読むことで、思考が広がる。考えが広がる。みなさんに新しい視点を提供します。

心が望む方向に、ただ走る「自分の心を信じて進め!」

自分の心を信じて進め!!!!

 

どこかで、誰かが自分に向かって叫んでいるかのような言葉だ。

 

その言葉には、どこか気合と根性を最後まで信じているような、問いかけ主の声が聞こえてくる。

 

自分の心を信じる。

言葉にすることは簡単だが、これは実行するには簡単ではないようだ。

 

なぜなら、私たちは皆、

他人の言葉ばかりを聞いているからだ。

 

会社で働くことに疲れて、自分で事業を興してみたい。

 

自分の心の中で、そう思うとする。

 

心の中では「やっちゃえ!やるんだ!!」と、内なる声が聞こえてくる。

 

でも、周りの人にポロっと話題にした瞬間、反対される。

こういうことが、なぜ起こるのだろう?

まるで、自分のことを信じていないみたいじゃないか。

 

そりゃそうだ。

相手は、自分ではないのだから。

 

相手も、自分の心を何よりも信じている。

ただ、不確実なものに耐えられないということだ。

 

これが自分だけの問題であれば、

睡眠時間を削ったり、色々と策をこねくり回したり、

たくさんトライ&エラーを繰り返すだろう。

 

けれど、他人から見たら、

相手が走り切ることなんて、保証はない。どこにもない。

あるとしたら、その人を応援する、信じることだけ。

 

家族であれば、配偶者であれば信じてほしいと思うけれど、

簡単に信用できるものではない。

これは、相手にも信じている世界があって、リスクを取りたくないと考える人もいるからだ。

 

もし失敗して、借金取りに取り立てられることになったら?

子供の暮らしは?

 

そんなことばかり、心配してしまう。

 

生活があるのだから、仕方のないことだ。

 

そこで、ふと立ち返る。

相手の信用を最初から期待してはいけないということだ。

 

現実はそう甘くはないことは分かる。

リスクを取る気もない人に向かって、お前もリスクを取れなんて、言えない。

 

だから、「自分の心を信じて進め」という言葉は、

安易に見えてしまうのだ。

 

人に言うのは簡単だけどね。

 

しかし、我慢だけが人生の柱になることは、

いつかは精神に異常をきたす。

 

私の母も、家族のために自分のことを犠牲にして守り続けてくれた。

そのことに対して、感謝はしている。

 

でも、ふとした瞬間に

「あなたたちのせいで」「お父さんのせいで」と、

責められるのだ。

仮に、父が何かを始めたいと言ったとしても、素直に応援できないだろう。

 

これは、我慢し続けたことによって、精神が蝕まれてしまう例なのかもしれない。

 

だから、「生活があるから」「家族に反対されたから」

そんな理由で諦めてはいけない。

 

私の母のように、誰かのせいで人生を狂わされたと後悔したり、恨み言を吐いてしまう人が、少なくないように思う。

 

SNS上や、気の許せる友人との会話では、「愚痴」という名の、

その人の心の中の真実が語られている。

 

これもまた、綺麗ごとなのかもしれないが。

 

我慢した先に、どんな自分の姿がある?

未来はどうなっているだろう?

 

このことに、真面目に向き合うことで、未来は変えられると思っている。

 

あなたが苦しくて仕方ないのなら、何か自分の内側でザワザワしている何かがあるのなら。

 

信じて進め!!!!

 

この言葉を、エールとして贈りたい。