英語など、外国語をスラスラ話せますか?
YES!!!!!と大声で答えてくれたあなた、
とても素晴らしい。
それと同時に、「ううん…」と自信なさげな声も聞こえてきますね。
でも、私はそれで構わないと思うのです。
「話せる」と思った瞬間に、話せなくなる現象
冒頭では英語を例にあげましたが、
今回のお話の核は違うところにあります。
私たち日本人は、日本語が話せる。
これは、当たり前のことですね。
生まれてから日本人の両親や知り合いに囲まれて、
日本語を頑張って話そうとして成長したのですから。
反対に、何年、10年もかけて不自由なく話せるようになった母国語でさえも、難しいと感じるのだから、英語などの外国語は半年で話せるなんてこと、奇跡に近いあり得ないことだと分かります。
1年で英語がペラペラに…なった人もいますが、
話を聞いてみると、
その1年の勉強の熱量がすごいのです。
もうね、私たちが楽しい~とゲームしてる時間も、
新作が始まった時も、
あちこちでイベントがある時も。
全てを犠牲にして勉強している、向き合っている人がいる。
そりゃあ、ペラペラになるわけですよ。
しかし、英語と違って母国語は毎日使ってるし話している…からと言って、
思ったことを何でも話せるか?ということもないですよね。
必ず、どこかに
言葉にならない何か
表現できない何かがあって。
大なり小なり私たちは苦しむわけです。
どうして伝わらないの!?
どうして言えないの!?
英語がペラペラでも、日本語がペラペラで自由に話せるからと言って、
言葉をうまく運用できているか?というわけではない。
それは、言葉というものは
社会生活を営む上で使うものであるからです。
コミュニケーション、あるいは人に何かを伝えるために存在するものだからです。
私は、生まれてこのかた言葉をうまく話せると思ったことがありません。
それは、持ち前の吃音も影響していると思うのですが、
伝えたいことがうまく伝わらないというもどかしさもあります。
今の世の中は、テンポが速くなっている
そう、速くなっているのです。
喋る速度も、ビジネスで取引先と関わる上でも。歩く速度さえも。
すぐに話す、すぐにレスポンスする、すぐに反応する。
電車から降りたらすぐに乗り継ぎのホームまで急ぐ。
ゆっくりしている時間など、現代ではあまりないのかもしれません。
だからか、休日に山奥などの自然に足を運ぶと、
とても心が癒される。
それは、ここでは急ぐ必要のない、テンポが遅くても許容してくれる世界なのだと今は思います。
「言葉を操る」「操れる」と思うほど、
コミュニケーションからは程遠いものになって、
「自分の言葉」として発言できなくなる。
そういった文脈では、今の時代では
言葉というものが使われすぎているのだと感じるのです。
言葉は、相手の表情を見ながら、
何を言おうか?どう反応されるだろう?
それを考えながら「おはなし」をする。
お喋りを楽しむ。
言葉を楽しむことから、言葉の不自由さから脱却できるのではないかと。
思うのです。
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