「反知性」
あまり聞き慣れない言葉だ。
英語で表すと、anti-intellectualism(アンチ・インテレクチュアリズム)である。
では、知性的とは、何をもって知性的とみなすのだろうか?
私たちが「あの人は知的だ」と表現する時、
・IQが高い
・高学歴で大企業で出世している
・学者である
などなど、立場や頭の賢さに注目する。
政治家だから偉いと思う人は、今日では少なくなっているだろうが、
医者などは知的職業の代表格のようなものである。
つまり、知的という概念自体が、
判別するためのレッテルになってしまっているということだ。
また、知的エリートという言葉が象徴するように、
反対に「知的ではない人」も存在することになる。
それが、反知性という概念だ。
この本は、「反知性」という概念はどのようなものか?を
事例と共に述べられた一冊である。
そこに書かれていたのは、
私たちが知的だと信じて疑わないような
大学とかメディアなどに、反知性の弊害が生じていることだ。
もはや、今の時代では、
自身の専門分野に閉じこもることも、反知性とみなされる。
メディアなども、広告を出しているわけだから、
売れるように印象操作をしているという側面がある以上、
仕方ないのかもしれない。
知的とは、一昔前には「よくモノを知っている人」だった。
でも、それがひっくり返されている事実がある。
それも、無理はなく、我が国の戦後の歴史や、
世界の経済の中心を名乗るアメリカは、
古い体制を打倒して新しく作り変えることから始まったのだから。
激動の時代にあたっては、もはや現状維持をすることが反知性的なのである。
本書はなかなか骨太の一冊だ。
あなたの世界観の一部を変えてくれることだろう。