答えがない世界で、私たちはどのように決断していくのか??
「答えがない」と聞くと、それは何通りかの答えがあるという風に解釈されます。学生時代から受けてきた義務教育では、「1+1=2」「第二次世界大戦は1945年に終結した」というように、決まった答えがあります。
…いえ、そう思わされてきたのかもしれません。
義務教育で教えられている内容も、専門家が議論をしてたまに修正が入ったりしています。たとえば、鎌倉時代は「1192(良い国つくろう)年」と覚えていたのに、今では1185年に鎌倉幕府ができたと教えられています。
しかし、ここでもふと立ち止まる必要があります。
過去を直接見ることはできず、基本的に当時の文書が残っていたとか、建築物などの痕跡で解釈されて、歴史としての流れが作られています。
当時から新聞のような情報伝達のメディアが発達していればいいのですが、時の権力者が交代するごとに都合の悪い資料などは燃やされることとなります。
何通りの解釈もできる、物語が想像できるということは、ひとつのロマンでもあります。見たこともない時代を、ああだこうだと想像しるのって、楽しいですよね。
だから、「答えがない」という事実自体には、可能性があるということですから、本当はロマンであるはずなのです。
…しかし、「答えがない」という状態に耐えられない人が多いのです。
現実の社会の中で、世の中を変えようとする人は多くはありません。
特に、大企業の社長さんとか、政治家とか。彼らの守るものは「これまでの蓄積、伝統」という大変重厚なもの。自分の代でダメになったという結果を残したくないのです。
それを回避する方法が、「何もしない、変えないこと」。いわゆる、現状維持というやつです。
一般の会社員である私たちでさえも、守るべきものは存在します。
それは、「仕事があってお給料がもらえる」という生活です。
もう辞めたいと誰もが思います。しかし、実際に手放している人がどれだけいるでしょうか?
しんどいと連呼する友人に、「辞めてみたら?」と言ってみると、
「職無しで生きていけないでしょう!」と怒られたことがあります。
提案として言うだけでも、彼女らにとっては、死活問題なのです。
それでも、常に「やめたい」という思いがある。
これって、精神上とてもよろしくないと思ってしまうのは、私だけでしょうか?
いえ、きっと。
そんなことさえも、「答えはない」のでしょう。
気が付けば、私たちは何かの答えを求めてしまう。
・彼女をどうやって作るのか?
・転職の方法は?
・ごはんのお供のベストおかずは?
何でも、検索して答えを知りたくなってしまう生き物なのです。
その一方で、検索で得られないことって、山ほどあると思うのです。だって、検索しても「結局、答えはなんなの?想像するしかないの?」と思ったことはありませんか?
検索して得られない答えであれば、検索しなければいい。その代わり、私のオススメする方法は読書をここで提案したいと思います。
答えのない世界で、答えを見つける方法。
それは、「自分で答えを作る」こと。
自分にとっての最適解を、模索していきたいですね。
◆今回の話に関連する過去記事◆