今回紹介するのは、この本。
訂正する力 (朝日新書)である。
今年の8月ごろにTwitter(X)のトレンドに連日入り、
注目された一人だと記憶している。
訂正可能性の哲学 ゲンロン叢書を8月に出版し、「訂正する力」は10月に出版されているのだ。
著者曰く、訂正可能性の哲学では哲学的な部分を、
今回は「訂正可能性の哲学」を出版した後の、語り下ろしだそうです。
訂正可能性の哲学の方は、読まなかったのですが、
タイトルからずっと気になっていた一冊でした。
そして、訂正可能性の哲学から派生したような、「訂正する力」という本を出版したと聞いて、読んでみることにしました。
そこには、想像以上の論理が展開されていました。
(本当に900円ほどで読んでいいのか!?と思うほどです。)
周りの声を異常に気にする日本人
コロナ禍の時。
世界はある程度の算段をつけて、マスクを外していました。
しかし、日本では政府が主導で「まだ外してはだめだ!」と宣伝します。
徐々に緩和されていきますが、
マスクをつけるのは任意と政府が明言した後でも、
「つけないと、何言われるか…」と、
周りの目を異常に気にしている日本人がいました。
そして、マスクを続々と外している人が多くなると、今度は
「まだマスクを外さないのか」と見る人も出てきます。
ここから、日本では「周りの目」を異常に気にする空気があることが分かります。
みなさん自身も、肌感覚では理解しているけれど、
いざ自分が叩かれると思うと尻込みしてしまう。
これはまるで、お国柄と言ってしまえばそれで終わりですが、
本書ではその立場を取っていません。
むしろ、日本では古くから、
中国や外国の文化や文字や技術を輸入しているにも関わらず、
自国に合うように訂正していた国だとのことです。
言われてみれば、そうですね。
諸外国の歴史を紐解くと、
他国の文化にどっぷりと漬かっているいる国、
侵略によって変えざるを得なかった国はたくさんあります。
日本だけ特別…ではないですが、
外の世界のものを取り入れる姿勢が凄まじいのは、
中国を起源とする漢字を日本風にアレンジしていることからも分かります。
英語でも、
バズるとか、エモいとか
日本風にどんどんアレンジしていく力が、日本にはあるのです。
だから、「訂正する力」を持っている。その力を取り戻すことが先決だ。
日本では、不祥事がひとつ起こると、
みんなに続け!と言わんばかりに、叩きます。
世の中の空気を、読みすぎて
みんな動けなくなってしまう。
でも、そうなると本当に有事の時には動けなくなってしまいます。
そのために、必要なことは。
事実を都合よく解釈するのではなく、
受け止めた上で、ルールに合うように訂正していくのだ。
本書を読むと、過激なようで、どこか言ってほしかった本。
そんな気がしました。