“みんな、内心では。 きれいごとは好きだし、物語ではハッピーエンドで終わらないと、後味が悪くなってしまう。そう、みんなきれいなことが、好きなのだ。”
この言葉が、唐突に目に飛び込んできた。
誰かの記事ではなく、自分の記事を読んで。
この言葉が目に入ってきた。
どうしてこんな言葉を書いたのだろう?
疑問で疑問で、たまらなく思った。
過去の自分に感銘を受ける。共感する。
心動かされる。
自分で自分の作品を褒める様を自画自賛と表現するが、自画自賛どころではない。
自画崇拝である。
まあ、そんなことは置いといて、
言葉というものは、吐き出した瞬間に
それが自分が発した言葉などとは忘れてしまうものだ。
しかし、かつては自分が思っていたこと。
だからなのか、共感することもあるのだろう。
逆に、共感できなくて黒歴史になることもあるけれど。
フロムの「愛するということ」という書籍で
どうやったらこんな感想が出てくるんだと思ったが、
愛する=きれいなものとみなす世界が溢れているのだから仕方あるまい。
不倫や浮気は不誠実だ。
だけど、そんな不誠実なことに心動かされる人、内心では羨ましいと思う人もいる。本音ベースでは、こんなにもドロドロの世界なのだ。
そんなドロドロの世界を表しているのか、
結婚したらパートナーとの関係性を築く努力をしなくなる人は多いと思う。
しかし、そんな世界にフロムは警鐘を鳴らす。
「そんな打算的な愛では、本当の愛は得られないよ」と。
美人な奥さんがほしい。
愛してくれる彼氏がいい。
結婚するなら年収XXXX
あげたらキリのない条件は全て、打算的なものだ。
だったら、他人に何も期待しないでいろというのか?
それだったら、結婚なんてしない方がいいじゃないかと。
でも、結婚はしたいから、契約結婚なんてものに憧れるのだ。
人は、最終的にはどこまでも欲望が出てきて、
どうしようもなくなる。
それは、自分以外の外部に期待しているからだ。
自分を信じ、自分でコントロールする。
そうやって真に「自立した」者が、愛とはなんたるかを知るのかもしれない。
こうやって話が飛び飛びになるのも、
まだ私が愛の本質を見誤っているということなのだろう。